私がクリスチャンになるまで 〜その1〜
このブログでも度々書いていますが、
私はプロテスタントの教会に通う
クリスチャンです。
今回はどのようにして
信仰を持つに至ったかを
お伝えしようと思います。
私は2000年の晩秋、語学留学で滞在していたカナダでイエス・キリストを信じました。人生最大の転換期です。この日を境に、自己中心でネガティブだった視点を真逆にする道を歩み始めました。
《人が怖い、社会が怖い》
幼い頃からほかの子どもたちと変わったところががあり、いつも浮いた存在でした。曖昧な言葉や表情から他人の思いを汲み取れず怒らせたり、いじめられたり。家族や友人とは仲良くするために「相手を否定しないで、寛容になろう」と頑張っていました。その一方で批判や中傷を恐れるあまり、自分の思いは心の奥にしまいこんでいました。というよりは適切に思いを表そうという意欲がなかった。友人は少なく、家でポップスやロックなどの音楽を聞いたり絵を描いたりして自分の世界に浸ることで心のバランスを取っていました。
本当は色々な人と仲良くしたい。そんな願いを持ちつつも、「こんな変わり者に味方はいるのか。こんな世界で生きていけるのか」と不安でした。しかしそれは「自分を無条件で受け入れてほしい」という欲求を裏返した、傲慢な思いでした。
《英語、そして教会との出会い》
人生の最初の転機は中学生で出会った英語。自分の思いを言葉で表すのは苦手でしたが、不思議なことに言語そのものには興味を抱き、小学生の頃からNHKの語学講座を見ていました。中国語やハングル、ロシア語など、言葉の内容よりも日本語にはない文字や音を学ぶことが純粋に楽しかった。しかし中学の英語で初めてきちんと文法などを学ぶようになり、徐々に対人のやりとりに興味が出てきました。ただ自分の言葉には相変わらず自信が持てず、課題をわかりやすく訳す努力をすることでコンプレックスを解消しようとしていました。
あるときテレビで海外アーティストの通訳を見て「カッコいい!こんな仕事をしたい!」と憧れを抱いた私に母が勧めてくれたのが
「キリスト教会の宣教師に英語を学ぶ」
ことでした。
中学2年の夏、近くのプロテスタント教会へ足を運びました。出迎えてくれたカナダ人の宣教師は日本語が堪能な方でした。教会にはとくに英会話を習う場はなく、たまに宣教師やほかの外国人の方と英語で話そうとしましたが、緊張して満足な会話はできませんでした。
それでも毎週土曜日の夕方は教会の中高生会に通い、聖書を学びました。これが今思えば大きな恵みでした。天地創造は進化論よりも納得できました。またイエス・キリストの教えは道徳的にも良いと思えました。
しかしある日曜日、礼拝に牧師が説教の中で「ロックミュージックは良くない!」と発言。ロック好きな私は衝撃を受けました。おそらくそれなりの理由があったのでしょうが、幼い私には自分自身を否定されたようにしか捉えられませんでした。また信徒さんたちは笑顔で優しく接してくれましたが、その表情がみな同じように見え、誰かに強いられているように感じました。
自分の思いを存分に出せない苛立ちから、常に精神的な自由を求めていた私にとって、行動や思考に規制をかけられるのは耐えられないことでした。
大学に進学すると部活動やアルバイトに勤しみ、教会には一度も行きませんでした。
〜つづく〜