私がクリスチャンになるまで 〜その2〜

(前回のお話はこちら

中学2年の夏に初めて足を運んだキリスト教会。学校では習わない創造論やイエス・キリストの教えを新鮮な思いで聞きました。その一方で牧師が「ロックは良くない」と言ったのを「あれこれ制限されて自由がなさそう」とか、いつもニコニコしている信徒さんたちを「この人たちは好かれるために笑ってないといけないんだ」とネガティヴに解釈。それでも高校を卒業するまで通い続けました。

東京の大学に進学が決まったと報告すると、下宿近くの教会を紹介してくれました。しかし、授業のほかにも部活動やアルバイトで忙しく、そこには一度も行くことはありませんでした。

 

《教会から離れて見えてきたこと》

大学での専攻は中国語。音の美しさに惹かれたのと、同じような顔なのに言葉も文化も違う不思議さから選択。同級生では「中国でのビジネスに繋げたい」といった人もいて、社会を見渡さず自分だけの狭い世界で生きてきたことを恥ずかしく思いました。

その一方で英語の学習も続けたかったのでESS(英語部)に入部。一生懸命だね、と言われるものの、自分の言いたいことをただ英語にしているだけで、自己表現の拙さは相変わらず。劣等生だった私でしたが、友人がたくさんできたのは幸いでした。卒業して20年以上たった今でも交流が続いている人もいます。

入学当初は中学時代と変わらず語学を生かした仕事を望んでいましたが、今ひとつ自信が持てず語学とは関係のない一般企業に就職。しかし諦めきれず何度か職を変わりながら通信講座で翻訳を学んだり、社会人向けの英会話講座に通ったりしました。初めは楽しかったのですが、

講座の課題も満足にできず行き詰まりました。「話すより書くほうがまだ得意」と思い目指していた翻訳家でしたが、やはり避けて通れない課題は会話力。誰かの言葉を訳すことはできても、自分の思いを言葉にできない。意識のレベルは中学時代のまま。それなのにまだどこかで「なんとか人と話さないですむ方法がないか」と往生際の悪いことを考えながら、ある翻訳学習者のセミナーで講師に思い切って質問しました。

「書き言葉を扱う翻訳でも会話ができた方がいいですか?」

「打ち合わせをすることもありますので、やはり話せた方がいいです」

確かこんな回答だったと記憶しています。

大学時代に友人に恵まれ解消されたかに見えた人間関係の問題は、実はそのままでした。人への恐れは、まだまだ残っていたのです。いつも過度に緊張し、話も要領を得ない。相手は苛立ち関係が悪化する…まさに負のスパイラルでした。

書き言葉を取り扱う翻訳でも、必要なことはほかの業種と同じで、スムーズにするためなら会話は欠かせない。世の中は自分の都合で回っているわけではない。至極当然のお言葉でした。

これをきっかけに、学生時代に憧れながらもためらっていた語学留学を考えるようになりました。そして大学卒業から4年経った2000年の夏、カナダのトロントへ。期間はわずか3か月でしたが、英語を堂々と話せるようになって人生を変えたい!と大きな期待を抱いての渡航でした。

〜つづく〜

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