「かわいそうな私」に別れを告げる。

「『ああ私ってかわいそう…』

そういう自己憐憫は罪です!」

私が信仰を持ってまもない頃、

礼拝のメッセージで

よく言われていた言葉。

しかし私は何がいけないのか、

分かりませんでした。

「キリスト教って、人を憐れむ心を

大切にするんじゃないの?

それが罪だなんておかしくない?」

 

キリスト教の「罪」とは神様から離れ、

自己中心の生き方をすること。

それが頭で理解できるようになっても

どこか腑に落ちませんでした。

 

しかし最近になって、

過去の自分、あるいは他人の言動を

冷静に振り返ることが

できるようになり、

ようやく納得できました。

自分の弱さは生まれつきだから

恵まれない境遇は時代が悪かったから

傷ついたのはあの人が馬鹿にしたから

 

私は決して悪くない!

 

心の中で燻らせた怒りは

無意識のうちに

他人の関心を引こうとする

相手を理解したり

必要に応える努力もしないのに

自分は何をしても許されると

無条件の受容を要求する

こうして周りのエネルギーを

奪っていく…

「自己憐憫は罪です」の

意味がわかりました。

 

その日心に抱いた

怒りや悲しみは

その日のうちに

神様に解放していただいて

持ち越さないようにします。

 

“怒ることがあっても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません。”

新約聖書・エフェソの信徒への手紙 4:26 新共同訳

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