理解と自由が欲しいなら、逃げずに努力を!

「発達障害は、治らない。一生付き合っていかねばならない。」誰かの言葉を鵜呑みにして、信じこんでいたけれど。
「だったら、それを個性にして生きていこう。」とまで思っていたけれど。
治るよ!と言ってくれる人に出会い、方向転換した。

幼い頃から、自分は他人と違う自覚はあった。

・周りの空気が読めない、仮に読めたとしてもどうしていいかわからない。

・言われたことを何でも間に受けてしまう。

・自分の思いをうまく表現できない。悪気なく言ったことが相手を怒らせてしまう。

・身体の動かし方が不自然。落ち着きがない。

・矢継ぎ早な指示でいろんな情報が立て続けに入ったり、自分の持ち物がなくなるなど望まないとことが起きるとパニックに。

学校では悪目立ちするため、いじめられたり疎まれたりした。

10代の後半になって、このような困りごとは脳の障害ゆえのものである、とある本で読み
「悪意はない。障害が原因なので自分ではどうしようもない。」
友人に理解を求めたこともあったが、受け入れられなかった。落胆したが、もっともだとも思った。私にいかなる背景があろうとも、相手への敬意や思いやりを放棄する理由にはならない。

弱さを言い訳にして逃げたい気持ちはその後も度々湧き上がったが、それでは家族や友人に対して忍びない。一介の社会人としてきちんと生きていくことを目指しつつ本から知恵を求めたり、仕事のステップアップを目指して通信教育で学んだりもしたが、どんな雇用形態でも働くこと、人と直接関わることからは逃げなかった。

痛い思いもたくさん味わったが、クリスチャンとなって心に絶対的な拠り所ができてからは、試練を通るたびに確実に成長してきた。
感謝なことに今は多くの友人に恵まれ、正社員として働く機会も与えられ、家族も守られている。
昨年からは神経の発達を促す体操やタンパク質を多めにとることを心がけた結果、メンタル面が劇的に変化。身体の動きや発言がスムーズになり、生きることがさらに楽しくなってきた。

一方で、周りに嫌われる行為をしていても障害などの弱さや過去に受けた痛みを盾にして社会の受容を求める人がいることを知った。しかも分別の付くはずの大人たち。どんなに「悪気はない」と主張しても、相手の自由を侵害したり、自分の心に巣食う闇から目をそらすために他人を利用するなら、人は離れていくだろう。

「大人になったら、誰も注意してはくれないからね」
母からよく言われた言葉が今、よく理解できる。大人になって人間関係が広がると、自分にとって危険だと思う存在からは距離を置く。誰からも指摘されないからといって正しいと勘違いしてはいけない。忍耐を持って指摘してくれる人には感謝すべきだ。

自分の自由度を上げたいなら、困りごとを解消し、痛みを伴っても人と関わり、周りから好かれる(少なくとも嫌われない)努力を重ねるに越したことはない。
それが自分の人生を、ひいては社会を豊かにする近道だと思う。

via PressSync

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