「嫌われたくない」は脅しだ。

「人から嫌われたくない」
誰でもそんな思いはあると思います。
私も、あります。

だけど、その言葉に一種の息苦しさ、卑怯さを感じることがあります。

なぜそうなのか?
台風が日本を通過していた土曜日の夜、
ある方の言葉で、気づかされました。

[坂爪圭吾さんのブログ いばや通信「人間をなめるな。」](http://ibaya.hatenablog.com/entry/2019/10/11/091339)

中でも最も心に刺さった言葉は、

“嫌われないように生きて、それで相手から好かれると思うことは、人間をなめている。”

坂爪さんの真っ直ぐな言葉に、自分の醜さを突きつけられました。そして、その思いの元をはっきりと言語化する勇気を得ました。

「嫌われたくない」
→「あなたが私を嫌うのは許さない」
→「人から嫌われる自分は許せない」
→「嫌われたら生きる価値がなくなるから」

「あなたが私を嫌うなら私は生きていけない」
こう言われたら。
相手が自分をどう思うかは自由であるべきなのに、どうして一方的に求めなくてはいけないのでしょうか。
「なめられた」どころではない。もはや「脅し」です。

ですが私は、心の奥でずっとそうしてきたのです。そしてその相手は他人だけではなく、自分自身も。
家族にも、友人にも恵まれているはずなのに、どこかで「溝」を感じていた理由が、わかりました。

こういう時に思い出される聖書のことば。
何度も読んでいるところですが、改めて心に沁みます。

“わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。”(旧約聖書・イザヤ書43章4節前半 新改訳2017)

「嫌われたくない」そんな恐れは捨てていい。
たとえ嫌われても神様だけはいつもそばにいてくださる。

台風が通り過ぎたあとの、日曜の朝。
いつもよりも、晴れやかに見えました。

via PressSync

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