「人間らしい」生き方。

私がよく投稿を拝読している、
ライターのich(いち)さん。
若い頃、自分の思いをうまく表現できず
いつももどかしさを抱えていた私は、
彼女に憧れと敬意を抱いています。

先日彼女のnoteに投稿された
こちらの記事が素晴らしかったので、
シェアします。

[クリスチャンになって、良かったこと](https://note.mu/radflumpool33/n/ne0ddcaf00196)

中でも印象的な言葉は

“「人間らしい」生き方”

19年前、自分が救われたときのことを思い出しました。
人としての「正しさ」。
当時の私が求めていたことでした。
しかし、ichさんはさらに的確に
表現してくださいました。

救われる前の私は、
「自分が正しいと思う世界」
の中で正解を出し続け、
得点を重ねてゆくのが
人生だと思っていました。

小学生の頃は嫌な目に遭うことが多く
自分の存在価値はないと感じていましたが、
テストで満点が取れると、
存在が認められた気がして嬉しかったのが
忘れられなかったのだと思います。

しかしながらその「正しさ」の基準は
極めて曖昧でした。
ときには馬鹿にされるのが怖くて、
自分が大切にしていたはずのものまで
曲げそうになったことも。

「社会に溶け込むために
自分を抑えることは必要。
だけど、いつもそのために
苦しむのは馬鹿げてる。
一体、何を基準にすればいいのだろう?」

迷走の末に留学に導かれたカナダで、
たくさんのクリスチャンに出会い、
彼らの生き生きした姿に心を打たれました。
その善意は
「誰かに良く思われたい」とか
「他人よりも優れた存在でいたい」
という自己中心性からではなく、
純粋な相手への思い。
人への恐れが強かった私でも
(いや、だからこそかも知れない)
素直に受け取ることができました。

彼らは、神様が自分を愛してくれていることを
心から信じている。だから周りにに自分を過剰に持ち上げるのを要求しない。
彼らは神様に悩みを打ち明けられる。たとえ時間がかかっても(神様にとって)良い方向に導かれると、信じている。

自尊心だけが満たされる
一時的な高揚感ではなく、
神様との繋がりから得られる充足感。
私の感じた「正しさ」、
そしてichさんの言うところの
「人間らしい」生き方は
これなくしてはあり得ません。

信仰を持って、もうすぐ19年になります。
原点を思い起こさせてくれたichさんと
神様に感謝です。

via PressSync

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